コンサートと村上春樹「意味がなければスイングはない」の話

先日、ちょっと気が向いて、とある大学の管弦楽団定期演奏会に行ってきた。 とくに団員の誰かにゆかりがあるというわけでもないのだけれど、その日の朝にSNSで見かけて、これは最近の少しもやもやしたような煮詰まった気持ちをやり過ごすのによいかもしれないと思ったのだ。実際、とてもよくやり過ごせた。 それに、1000円程でオーケストラの演奏を聴けるというのはリーズナブルで、とてもよい機会だとも思った。

開催されたコンサートホールは広くて立派で客席が3階まであって、私と連れはゆかりのない大学の楽団の定期演奏会ということでなんとなく気後れして、3階の、そのなかではよさそうな席を、当日券を売る団員さんに選んでもらって座った。 ゆったりとしていて、居心地がよくてすばらしかった。

クラシックにとくに詳しいわけでもない。でも、私はほんとうならいわゆるハイコンテクストな理解が必要そうなものをさほど理解もなく楽しむことが得意だ。 絵画も写真も落語もプロレスも、人に誘われていくあまり知らないアーティストのライブとかもそうだ。そこにあるものだけで楽しめる。(今気づいたが、そこにあるものだけで楽しめるようなタイプのアーティストや落語家やレスラーを好きになりがちだ。しかしそれはいったいどんなタイプなんだ。分類できるのか。)

クラシックのコンサートを聴くときは、少し早めに席についたら、パンフレットに書いてある曲紹介を読み込んだり、指揮者の人の写真を眺めながら、もしかすると今日はこんな演奏になるのかもしれないな、と想像する。 曲がはじまったら、うーむこの曲はロマンチックでいいなとか、ディズニーみたいでたのしいなとか、旋律がわかりやすくていいなとか、やっぱりメインの曲が一番演奏がうまいなとか、自分はさっきの曲がほう好きだなとか、アンコールというものは明るい曲をやるからいいなとかそんなことを思いながら楽しむ。考えていることを書きあげると教養のなさとしまりのなさがバレてしまう。

今日はそんなことを思い出していたら、なんだか音楽についての本が読みたくなったので、本屋で、村上春樹の「意味がなければスイングはない」という本を買ってみた。タイトルがよくて目に止まった。「音楽についてそろそろ真剣に、腰を据えて語るべきではないか」という帯もよかった。腰を据えて語るコンテクストをもたない私は深く理解している人に教えて欲しいのだ。

意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

少し読んでみた限りだと、これが実によくて、音楽の教養がなくても、ほほうそれは面白いなとか、ははあそんな解釈があるのかとか、いい曲なんだろなとかいって知らないことを知らないまま楽しく読ませる。私がクラシックのコンサートを楽しむときと同じテンションや取り組み方で読める。 村上春樹さんは文章がうまいなぁ、とまた中身のない適当な感想が出てしまう。

気が向いたので、というような徒然なるままの日常ブログを書いてみた。